芸術と医療が交わるところ
先日HERALBONYという企業の100年史ツアーに参加しました。はるばる岩手県の盛岡まで。このためだけに行って良かったと思えるくらい、ものすごく感動したので共有します。
HERALBONY(ヘラルボニー)とは、主に障害のある作家とライセンス契約を結び、そのアート作品を軸に新たな文化やビジネスをつくりだす企業です。彼らの作品はネクタイやバッグ、衣類、コースター、傘などの生活用品として商品化されています。
以前からこの企業の存在は知っていましたが、最初に知ったきっかけは明確に覚えていません。今回のイベントを通じて、自分が医師として病院以外の場所でどのように社会と関わっていきたいのか、そのヒントを得たような気がします。自分が強烈に惹かれる芸術と、自分の専門性である医療の交わるところ。今後の人生で必ず何かしらの形で関わることになるでしょう。
本題に入る前に、ふと思い出したことがあります。医学部5年生のとき、地域医療実習の一環で小さなアトリエに訪れたときのことです。そのアトリエには地域から自閉症やダウン症などの子供たちが定期的に集まってきます。あらかじめ用意された絵の具や画用紙を目の前に、自由に好きなだけ絵を描いて、満足するまで描いたら親と一緒に帰っていきました。
そこのアトリエの主人はたしかフランスで何年か絵を学んで、日本に帰ってきてからも画家として活動していました。私はその主人の穏やかな雰囲気が好きで、話の内容も未来の世界に想いを馳せた、とても興味深いものでした。詳しい内容は思い出せないけれど、「心を表現すると命が強くなる」という言葉は覚えています。
そのアトリエに、とある親子が訪れました。母親と娘です。娘は子供というほど若くなく、40代くらいの風貌でしょうか。母親の方はかなり高齢に見えました。娘はアトリエに足を踏み入れると、すぐさま画用紙を持ってきて大小さまざまな筆で絵を描き始めました。たしか自前のラジカセでTOKIOの楽曲を流していました。かなり昔に発行されたであろう古びた雑誌も横に置いて。そこにはTOKIOのメンバーの姿が載っていたと記憶しています。絵描きにのめり込む姿には、目を見張るほどのものがありました。
母親は私の姿に気がつくと挨拶をして、近くの椅子に腰を下ろしました。すると母親は私に自身の娘のことを、目の端に涙を浮かべながら語り始めました。
「昔は本当に周りの人の目が、関わり方が苦しくて、本気で自分の娘の首を絞めてしまおうかと思ったんですよ。昔は本当に辛かった。けれどなんとか踏みとどまって、今はこうやって彼女が楽しく自由に活動できる場所があるし、できた作品をもらってくれる人もいて。そういう人がいてくれて、本当に今は幸せだと思うんです。これで良かったんだと心の底から思うんです。」
一言一句を覚えているわけではないですが、こんな感じの話だったかと思います。それを聞いた私は、心臓を両掌で引っ叩かれたかのような衝撃を受けました。それは感動と言うには綺麗すぎるし、悲しみというにはネガティブすぎる。なんとも言えない感情になりました。
娘さんからは大量の手作りカレンダーとカルタをもらいました。母親曰く、家にもとんでもない量あるから是非もらってほしいと。色鉛筆で描かれた絵は、果物や乗り物、季節の花、観光名所など、さまざまなテーマが並んでおり、どれもとびっきり自由で無垢でした。上手いとか下手とかの次元ではなく、エネルギーそのものが目の前で光を放っているようでした。その親子は今も変わらず、日々を暮されているのでしょうか。
HERALBONYと契約しているアーティストの作品にも、類似した感情を抱きます。障害を持っているからとか、子供だからとか、そういうのは正直どうでもよくて、ただ目の前の作品の野生的な力に、心もろとも吸い込まれるのです。その尋常でない生命エネルギーを、日用品としての商品価値にきっちり落とし込んでいる点にも感動します。物質的に豊かで多様性に寛容な今の時代だからこその、斬新で魅力的なコンセプトではないでしょうか。
誰しもが弱点やコンプレックス、場合によっては病や障害を抱えています。HERALBONYやアトリエで出会った人たちは、自身でその障害を抱えながらも、むしろ肯定も否定もせず抱え続けることによって、人の心を強く揺さぶるような、いのちの表現を繰り出します。彼らの作品に触れていると、自身の不完全性や未熟さを許せるような気がしてきます。それは人によっては、ものすごく大きな救いになるでしょう。
とりわけ病院で関わる患者たちは必ず何かしらの苦しみを抱えています。多くの人がマイナスをゼロにしようと奮闘しています。病を治そうと、障害を減らそうと。しかしそれらの苦痛は本当にマイナスなのでしょうか。もしかしたら病や障害をマイナスと決め込んでいるのは、医療者である自分の認知の歪みかもしれない。自分は患者という人間の一側面、ほんの少しの可能性しか見えていないのではないかと、ハッとしました。他にもいろいろ気付きがありますが、今回はこれくらいで。