26歳になりました
20代の折り返し地点。ここまで20歳からの5年間は、人生全体でも一二を争うレベルの濃密な時間になると思う。とにかく長く、変化に富んだモラトリアムだった。とくに2年間の休学は強烈なスパイスだった。自分のこの人生は、休学以前と休学以後に分けられる。そう断言できるほどに、価値観や感じ方を変えてくれた。さまざまな人やモノと関わるなかで、自分という存在はことごとく解体された。そして一から自己を組み立て直すことを始めた。
人間の身体を構成する細胞や分子は絶えず入れ替わっている。その生理的な変化と同じやり方で、心のあり方や考え方も新陳代謝されていく。その快感を存分に味わった体験こそが、大学生活における最大の成果だと思う。
これまでの5年間が、自分の本音や心のありようを自覚し、縛りや制限から解き放っていくフェイズだとすれば
これからの5年間は、その自分らしさや感性を、社会の建前や暗い側面さえも栄養源としながら、あるがままに表現していくフェイズになるだろう。
ここに自分の熱源、光がある。だから闇に呑まれても、大丈夫なのだ。帰ってこれる場所がある。暗がりに寄り添ってくれる人がいる。
何より大切なことは、自分の「核」がどこにあるのかを自分が知っていることだと思う。核というのは、自分はこれが好き、これのために生きている、これさえあれば他に何もいらない、これに触れると胸が温かくなる、素直にそう思えるものだ。
自分の場合、それは芸術であり、言葉であり、生命であり、自然だった。それらに触れたときに生じる感覚。香り、手触り、温度、色、充足感。弾けたり、染み込んだり、突き刺したり、包み込んだり、照らしたり。そういうイメージが愛おしくて、だから生きている。
真面目に勉強しなくていい。優等生であり続ける必要もない。まわりの目を気にすることもない。未来は横に置いて、ただ今の自分が心動かされるものを、素直に探し続ければいい。その姿勢さえあれば、何をやっても楽しい。あたらしい感動に出会える。これ以上に幸せなことはない。理想論に思えるかもしれない。でもしょせん人生なんて、それだけのことじゃないか。
“2/25” への1件のフィードバック
自分らしさや感性を、社会の建前や暗い側面さえも栄養源としながら、あるがままに表現していくフェイズになるだろう。
ここに自分の熱源、光がある。だから闇に呑まれても、大丈夫なのだ。帰ってこれる場所がある。暗がりに寄り添ってくれる人がいる。
という部分が印象に残りました。私は最近暴かれつつ現実に起こっている闇や自分の力だけではどうにもならない世の中の悪い点に対してどのように向き合ったらいいか自分の中で答えが見つからず、怯えながら生きています。だから、それを自分の糧にできたり、闇に飲まれても大丈夫だと思えているのはとてもすごいなと感じました。