2025/11/6


想いを馳せる

2ヶ月にわたる卒業試験を終えた。ポケモンで例えるなら「歴代の四天王32連戦!」みたいなもので。8月末まで好きなことして遊びすぎて、当然まったく勉強貯金できてないし、初期はメンタル瀕死だった。割とガチで留年を覚悟したが、受かると決めて立て直した。なんやかんやで一度スイッチを入れてしまえば、あとは淡々とやるべきことをやるだけで、単純といえば単純なゲームだった。本当に周囲の人に支えられた2ヶ月だった。

てなわけで2月の医師国家試験まで、ほんの少しだけ息抜きする時間ができた。ふと書きたい気持ちになったので、思ったことを言葉にしておく。卒業試験とはまったく関係ない話だし、どこに帰着するかもわからない。

「自分は結局どこに向かいたいんだろう」と考えている。ここ数年。

人は死ぬ。この人生も必ず終わりがくる。こうして言葉にすると、希薄に思えてしまう。生と死。25歳とまだ若く、人生経験も少ないわたしにとって、臨床実習での終末期あるいは高齢者とのコミュニケーションは琴線に触れるものばかりだった。そこには自分にしか感じ取れないもの、あるいは伝えられないものが確かにあった。目の前の人と対峙した。この人はいま何を感じてるんだろう。何が見えているんだろう。何を求めているんだろう。ああ人って死ぬんだよなあ。本当に自分も終わるんだなあ。そうだよなあ。死を考えれば考えるほど、じゃあ生とはなんぞやと。この今、この生とは。

人にはその人しか感じ得ないもの、見えない世界がある。その人だから出せる声、表情、オーラがある。あなたもわたしも。だれしもが例外なく。退院直前の担当患者からの「ありがとう」と、誕プレを渡した恋人からの「ありがとう」は当然ちがう。人だけではない。コンクリートから生える草花にも、太陽や月にも、秒針を刻む時計にも、やはりそれにしか表現できない世界がある。なにひとつ同じものはない。そんな唯一無二の瞬間が、瞬間瞬間で連続する。絶え間なく移ろう。生じては、消える。また新しい何かが生まれる。このダイナミックな平衡状態こそ、わたしたちが当たり前のように過ごしている日常世界に他ならない。生きるってのはこのことだ。わたしはこの事実に、何度も心動かされてきた。

風で流れる雲を見て「いいなあ」と思う。ペットボトルの麦茶を飲んで「この味、この味なんだよなあ」と思う。スーパーで主婦たちを眺めて「どんな子供がいるんだろう」と思う。自分の心臓が鼓動するのを感じて「生きてんなあ」と思う。コオロギの鳴き声を聞いて「うわあ秋だなあ」と思う。古風なカフェの雰囲気に浸っては「ほっこりすんなあ」と思う。ふと湧いて出てくる情緒。現実をそのまま受け取ったときに、自然と生まれる感動。まるで永遠に味がするガム、しかも少しずつ味が変わり、飽きがこないガムを噛んでいるような、そんなイメージをもって心が満たされる。だから入院患者と関わるときも、特にその人がもつ内的宇宙に関心があり、その人が感じている世界をわかりたいという気持ちがあった。ベッドサイドで「共に感じる」とはどういうことかを考えたりした。

ありとあらゆる現象はそれ自体、ものすごく尊いことだと思う。足りないものはない。もうすでにそこにある。最初からすべてがパーフェクトであり、それ以上でもそれ以下でもない。この現実世界を曇りなくクリアに捉えられた瞬間に「生きてるってすげえ!」と心底思う。泣けてくる。ものすごく豊かじゃないか。すぐそこに転がってんだ、必要なものは。自分の目が節穴で、見落としまくってるだけで。何も正しく見えていない。あるものがあり、ないものがない。本来それだけのことなのだが、しょうもないことばかりに目がいく。視界が曇る。その曇り方が多様だから、面白い。同じ現象に対して、人それぞれ解釈がまるで違う。かわいいの基準も、おいしいの基準も、きもちいいの基準も。それが人間の魅力だよなあと、一人間のわたしが面白がる。すべてが幻という名のエンタメで、本当にうまいことできている。

アートって言葉だと誤解を生むので、あまり使いたくない。なんていうんだろうか。「今まさにこれ!」って感じだ。これこれこれ。いまいまいま。言葉にすると損なわれてしまうもの。それが最高に尊くて、恍惚感あふれる。たましいが震える。今この瞬間こそが、至高の作品だということに、今まで気付かなかった。いつでもどこでもだれとでも、この豊かさを感じられるようになれば、これ以上にすばらしいことはない。そんな未来にワクワクする。どんな未来を創りたいか。もっと自由でいい。ぶっ壊せばいい。また組み立てたらいい。なにもかも。みんな健全なフリして隠してるだけで、変なところ絶対あるんで。わたしも全然まともな人間じゃないので、このクセが刺さる人にはめちゃくちゃ好かれるし、刺さらない人には見向きもされない。結局そんなもん。無意識のうちに自分で自分を縛っていることに気付いていきたい。

わたしにしか表現できない世界がある。見出せない美しさがある。じゃあ具体的にそれが何なのかは全然ピンときていないが、まあそれは自然に、素直に生きていたら、なるようになると思う。ただこの抗わない、受け入れる、味わい切るというのが、なかなか。一筋縄ではいかないんだなあ。だけどすごく大事。人生において、いちばん大事だと思う。感じる。頭じゃなく、こころとからだで。日本に生まれたことも、この親のもとで育ったことも、あの人と出会ったことも、医学部に入ったことも、何から何まで、すべてがすべて必然で。そう心から思えたとき、人は救われるんじゃないか。本当の回復、癒し、尊厳。わたしの人生はこれでいい。これでしかあり得なかった。みんなきっと、この感覚を求めてるんだと思う。今は要らなくても、命の終わりに近づけば近づくほど、多分ほしくなる。痛みと苦しみは必ず生じる。もちろん身体は衰え、心は揺らぐ。ネガにもポジにも。その不自由さのなかで、自分が関わる人の生をどこまで輝かせられるか。

それはもう医療の範疇を超えてくる。だから面白い。医学だけでは太刀打ちできない領域を切り拓こう。そこには数えきれないほどのドラマがある。いろんな人の生にお邪魔して、ともに心動かされ、ともに向き合い、ともに変えていく。その一歩一歩の地道で、バカめんどくさい、それでいて最もヒトらしい過程に強く惹かれる。従来の医療にリベラル・アーツを総動員する。人種も職種も世代も超える。そんな仕事がしたい。同じいのちをもつ人間にしか生み出せないもの。それは何だろう。どんな形、どんな香り、どんな色彩、どんな肌触りがするだろう。今までに味わってきた感動のなかにヒントがある。そしておそらく、何年後かわからないが、人類全体の関心事はそこに向かっていく。他の問題はすべてAIが解決してくれる。生身の人間にしか扱えないテーマだけが残る。たとえば家庭医療学はそのひとつかもしれない。

人間という生き物、この世界の仕組み。わからないことが多い。だから惹かれる。この小さな脳みそ、ひとつの身体では理解できないことばかりだ。たった100年の命では足りない。読みたい本も、見たい映画も、行きたい国も、会いたい人も。とにかくすごいんだ。この世界は。それが愛おしくてたまらんのだ。その愛おしさを胸に抱えたまま、生きて生きて終われたら、もう最高だと思う。

今日もいい1日だった。明日もいい1日になる。

“The sense of wonder can lead us to a deeper understanding of the world.”

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン


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