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なぜ小説を書くのか?

左後ろのソファ席の老人が太った猫のような、鈍い声をあげた。何事かと振り返ると、その老人は新聞をめくっていた。ひとつ空けて、自分の左のカウンター席に座る老人もまた、お経のような音をつぶやきながら、新聞をめくっていた。平日午前の喫茶店ほど、社会の高齢化を感じる空間はない。

そこで西村ユミさんの著書を読む。彼女は看護師が患者を前に、その痛みや傷、苦しみや恐怖などを目の当たりにしたとき、いかなる経験をしているのかに注目し、それを現象学的に記述することを試みた。自分はこれと似たようなことに興味があり、とりわけ研修医のそれを学術的ではなく、文学的に表してみたい。なぜ?

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生身の、しかも強い苦しみや傷を抱えた人間、ただ老いて死にゆく人間、生と死の狭間を行き来する人間。そういった尋常ではない状況にいる者と向き合ったときに、とめどなく湧き出る感情、立ち現れる感覚。そこから導き出される気づき。この一連の体験には、なにか大きな意味がある。とうてい言葉や科学では捉えきれないものが。そのことを自分は、臨床実習で何人かの患者と関わるなかで実感した。医師ではなく、学生として。

痩せ細った手首が帯びる熱。ほとんど沈黙だった者が、かろうじて発する声。言葉にならないだけで、確かに存在する訴え。ふと芽生える恐怖、嫌悪感。言語化すれば消えてしまうようなエネルギー。ただ理由もわからず、底から何かが込み上げてくる。これは一体何なのか。この自分、この感覚とは。

医療者としての実務経験を重ねていくうちに、この生々しい何かは知らぬ間に抑圧され、隅の方に押しやられてしまう。その理由は単純で、都度都度それらの強烈な体験を味わっていたら、医療者としての仕事を十分に全うできないからである。程度の差はあれど、医療者たちは自身の情緒を犠牲にして、技術や能力を獲得していく側面がある。

その一方で、無知であるからこそ、経験が浅いからこそ、感じ取れるものがある。それを物語として書き起こす。医療従事者に限らず、それを読んだ者は、自身の心の底に沈殿した感情に気付くかもしれない。表面に浮かんでこないから、最初から無いものだと思い込んでいるけれど、たしかにこの身体は覚えている感覚。それを思い出してもらう。これからの日々の記録と物語は、医療者の心を癒す薬となりうる。小説という形が、最もその効力を発揮するのではないか。だから書いてみようと思う。


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