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伊豆大島滞在期2

古風な喫茶店で、とある女性と出会った。その女性は昨日もここに来ていたので、その姿を見るのは2回目。小柄で飾り気のない、質素な顔立ちをしていた。年は自分と同じか、少し上くらい。緑の表紙の本を読みながら、カレーを口に運んでいた。

昨日の自分は隣の広めのソファ席でくつろぎながら、気の向くままに本を読んでいた。今日の自分はといえば、昨日とは別の席で揺り椅子で前後にゆらゆらしながら、これまた気の向くままに本を読んでいた。天気はくもりで、釈然としなかった。

トイレのために席を立ち、数分後に戻ってみると、店主とその女性が会話をしている。どうやら自分が席にいない間、店主が自分のことを彼女に話したらしい。

「このお兄さん、毎日ずっとここで本読んでるんですよ。朝から7時間くらい。大島に来て、今日で何日目でしたっけ。」

「ええ、たぶん4日目だと思います。(7時間は盛りすぎや)」

そんなこんなで自分、店主、女性の3人で話を交わす空間ができたかと思うと、奥からギギギと扉が開く音がした。いかつめな小太りのお爺さんが入ってきて、慣れた口ぶりでモーニングを注文した。店主とラフに話すその方は、港近くの寿司屋の大将だった。この喫茶の長い常連でもある。先ほどの空間に大将が加わり、自然と4人でコミュニケーションを交わす場が生まれた。

その大将は見かけに反して落ち着いた様子で、若い身なりをした自分とその女性を見てふっと思い出したのか、自分が助言した通りに女性にアタックしなかった男性の知り合いは75歳になった今でも寂しそうにしているとか、男女の恋愛観についてざっくばらんに語り始めた。それをわれわれは頷きながら聞いていた。

「お二人はどこか顔立ちが似ているし、お似合いだと思うよ。ほら、今いっとかないで後になって「ああ、あの大将の言う通りにしとけばよかった」なんてなるかもしれない。」

それは本心なのか、出まかせなのか。よく分からないが、謎に説得力はあった。

「まあそういうもんですよね、ははは。…じゃあ、どこか行きますか。」

その女性も一瞬は少し戸惑いながらも、すんなり受け入れた様子だったので、お互いに何者かも分からない者どうしで、とりあえず店の外に出ることにした。東京なら向かう先は無限にあるが、なんせここは伊豆諸島。若い男女が行って外れないスポットなど、動植物園か三原山くらいしかない。三原山へ行くには車が必要だが、自分はペーパードライバーで彼女は無免許。てなわけで動植物園の一択が残る。こうやって選択肢が限られるのは、むしろありがたい。ゼロから調べるのは面倒。しかもお互いのことをまったく知らない状態から、ふたりの行き先を決めるのはもっと時間がかかる。自分はちょうど明日に動植物園に行く予定だったが、彼女はまだ行ってないらしい。ほんならちょうどいいねと意気投合して、動植物園行きのバスに乗ることにした。

喫茶では物静かで聞き上手な人だと思っていた。しかしお互いに会話を重ねて、緊張の糸がゆるんだ途端、彼女の口から言葉という言葉が溢れ出した。

「喫茶のサラダ、かなり攻めてるよね。だってオレンジと桃とパイナップルだよ。それとサクランボ。今どきマジでないじゃん。あれ、酢豚にパイナップル派の人はどう思うんだろうね。あれ出すの、だいぶ勇気いると思うんだけど。どう思う?」

「全然気にせんかったわ。先に果物だけ食べて、その後にドレッシングかけたらよくない。」

「ああ、まあ、たしかに。」

「あれの名前、知ってる?フルーツトウフサラダ。そういうやつなんだよ、そもそもが。」

パートナーは好奇心が持ち続けられる人がいいとか、静かなカフェで本さえ読めたら幸せだとか、なんだかんだ詰め込み教育って大事だとか、スペイン行きたいとか、村田沙耶香は面白いとか。恋愛、結婚、読書、旅、海外、教育。いろんな会話とか、ディスカッションをした。自分よりはるかに頭の回転が早く、ものごとの解像度も高い人で、彼女の意見を垂れ流すだけでもそれなりのラジオ番組が成立するのではないかと思うほどだった。しかも共感するところが多かった。

その反面、子どもの名前は「あーちゃん」て呼びたいから「あ」から始めるやつにしたいとか、夏のエジプトは暑くないからマジでポジだとか、雨はネガだけど花粉落としたらポジとか。いきなり「こう感じた!ドーン!」という勢いで命題を投げられることもあり、この緩急ある語り方が妙に面白かった。

慶應を卒業してから就職はせずに、自分で小会社をやって生き延びてきたらしいが、仕事に関して詳しいことは聞かなかった。来年までには結婚して、子育てがしたいと。帰りの船が東京に着いた後、マチアプの男性と焼き鳥を食べに行くらしい。あとは会食でおじさんと話すときの裏技とか、夏の東京は暑すぎるから長野のロッジを買って避難しようとか。まあいろんな話を、帰りの5時間の運航でも、和室で寝転がりながらぼーっとしては、黙って本を読んでは、自販機で買ったビスケットサンドを半分こして雑談しては、ぐらぐらと揺れ続ける船内で気ままに過ごした。船から降りる前に「お金信仰さようなら」という本をもらった。表紙のデザインはいいけど、中身はまあ普通らしい。

「寂しいね。」

「また近いうちに会って遊ぼうね。」

「あの大将には感謝だね。」

「そうだね。」

彼女が恵比寿駅に降りるとき、お互いに手を振って解散した。

これが旅の醍醐味ってやつか。どんな出会いがあるか分からない。言葉では語り尽くせないほど、充実した時間だった。

絶えず波に揺さぶられる船内で長く過ごしたせいか、自分の心の揺らぎまでは気付かなかった。それは波の揺れとも、喫茶での揺り椅子の揺れとも違う、あたたかく弾んだ揺れだった。


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