2025/3/9


あたらしい自分に出会うために

人はみな何かしらの「恐怖」を抱えながら生きており、そのことにほとんど無自覚である。それらの恐怖は、たとえば幼少期に親からひどく怒られたことへのトラウマだったり、好きな異性に言われた辛辣な一言だったり、学校の先生からの「優秀であってほしい」「変なことはしないでほしい」という期待心だったり、そういう「過去」から今までの体験に由来している。

そして重要なことに、私たちの人生は、ほとんどこの過去に縛られている。私たちは実際、現在を生きているのではなく、過去を生きている。自分でも恐ろしいほど、まったく気付かないうちに、そうなっている。友人との関わり方、仕事に対する姿勢、趣味や好きなこと、苦手な人、嫌いなこと。そういった自分の特性は、実はほとんどが過去の体験がベースに形成されており、鋳型に流し込まれたセメントのように固められている。そしてその特性は死ぬまで変わらないものだと、心のどこかでそう強く思い込みながら生きている。たとえば「私は〇〇だから」「やったことないし」「どうせこうでしょ」「まあいっか」という口癖がその証拠である。

過去から今までの体験だけを材料に、今この瞬間の自分のアクションを選択する。もはや多くの人にとって、この状態が当たり前になりすぎて、自分の人生を実際そのように選択して生きていることの実感すらない。それは人間というより、マシーンの生き方だと私は思う。昨日と同じことを繰り返す機械的な生き方を悪いとはけっして思わないが、せっかくの一度きりのこの今世、自分の才能が開花し、新たな発見と感動に満ちた人生を送りたいと、誰しもが心の奥底ではそう思っているのではないか。私は休学した2年間、この人間の無意識の構造について、痛みを伴いながらも継続的に学んできたし、今現在もそれと向き合っている。

(注)それは一般的には「コーチング」「カウンセリング」と呼ばれるが、その用語自体にあまり意義はない。

私は基本的に、いったいどんな体験がこの人を限界付けているのか、どうすれば今より豊かな人生を創れるか、その人にとっての理想とは何か、ということを考えながら、他者とコミュニケーションしている。その発言や振る舞いの背景に何があるのか、本当の気持ちは何か、何を恐れているのか、あるいは何を夢見ているのか、期待しているのか、本当にはどうなりたいのか。それらをひとつひとつ丁寧に自覚した先にしか、その人が理想とする現実は訪れないし、もし理想が叶わないとすれば死ぬ直前に悔いが残る。

何よりも人間を限界づける「無意識」をハックすることが重要であり、先人から受け継いだその知恵とマインドセットをより多くの人に伝えていくことが、私の人生の目的のひとつである。それを踏まえたうえで、令和の時代を生きる若者には、もっともっと感情とか本音が生き通う「心の対話」が、目の前の現象から肉眼では見えないものを受け取る「感受性」と「想像力」が必要だと考えている。さしあたりは「芸術」を主な手段として、イベントや文章、作品などの具体的な形にしていく。


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