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医師国家試験というクソゲー、その攻略法としての遊び心

今日も喫茶店へ。家から歩いて15分。この静かな朝の時間がとても好きだ。冷え切った空気が肺の底まで一気に入り込み、しゃきっと目が覚める。黒白の斑点で染められた2羽の小鳥が目の前を横切る。犬を連れた見知らぬ老人とすれ違う。あちらの大道路から、車の走行音がかすかに聞こえてくる。

毎日同じ道で同じ景色を見るからこそ、ささいな変化に気付きやすくなる。ふと「今ここで斜め後ろを振り返ったら、新しい景色が見えるだろうか」ということを考えて、振り返ってみたりする。すると今までスルーしていた建物の存在がはっきりと感じられたり、遠く先に見える山の佇まいがどことなく穏やかに思えたりする。それらはただそこに在り続ける。一見同じに見えるものを、新しく捉え直す。すると必ず何かを発見する。楽しい。この「遊び心」があるかないかで、日常の充実感がまるで違ってくる。

そしてこの視点は、実に汎用性が高い。たとえば医師国家試験の勉強でも同じことが言える。この国家試験では、直近5年分の過去問を何度も解き直して、基本の理解を深めることが最も重要とされる。すなわちみんなが難なく解ける問題を、難なく解けるレベルに持っていくことが、合格するための必要十分条件である。逆に言えば、受験者の大半が解けない問題を解ける必要はまったくない。これは受験生なら誰でも知っている常識だ。

ただこの過去問演習のクオリティが、人によっててんでばらばら。これは面白い。とにかく多くの時間と労力を勉強に費やせば、あるいは優れた教材と環境があれば、それに比例して成績も上がる。そう思っている受験生も少なくない。ただ自分はそうは考えていない。根が怠け者なので、とにかく楽できるなら、最大限まで楽したい。そもそも論、試験勉強などしたくない。行きたい場所も会いたい人も数えきれない。勉強より楽しいことなんていくらでもある。だが現実は現実。それがクソゲーだとしても、クリアしなければ次に進めない。本当に欲しい未来が手に入らない。だとすれば、クソゲーでもクソゲーなりに楽しんで遊べたほうがお得だ。そう割り切るしかない。はっきり言うと、医師国家試験はクソゲーだ。死ぬほどつまらない。その前提で、じゃあどうするか。この向き合い方が問題だ。

話を戻そう。時間にも時間の注ぎ方が、労力にも労力のかけ方が、教材にも教材の使い方がある。少ない時間で、少ない負担で伸びる人。その一方で、頑張っている割に、環境は整っているのに、伸びない人。燃費がいい人と、わるい人。この差を生み出すのは、いったい何か。受かってもないし落ちてもない、国試直前の今だからこそ、国試合格後の生存者バイアスなしに、書けるものがあるかもしれない。そう思って、メモ書き程度だが持論を残しておく。この言語化も、仕上げの勉強の息抜きだ。

さて、伸びる人と伸びない人。この差を生み出すもの。それがはじめに触れた、遊び心だと思う。目の前の現実をそれとして受け入れ、味わい、没頭し、楽しむ。これが遊ぶということ。一回だけ遊ぶのであれば、これだけで十分。ただ遊び心には、同じものを何度も捉え直して、繰り返して遊ぶという「反復性」の側面が含まれる。そこで遊び心を真に発揮するためには、メタ認知が必要になってくる。というのも何事も新しく捉え直すためには、今この目の前の現象を、自分の視点を横に置いて俯瞰する必要があるからだ。メタ認知ができないと結局、今までと同じ自分の視点でしかそれを見ることができないので、感じ方も解釈も結論も今までと同じものになってしまう。当たり前といえば当たり前のことだが、この罠に嵌っている人はかなり多い。

遊ぶ。子供の頃は、自然とそれが出来ていた。自分が小学生のころ。遊びといえば、部屋でテレビゲームか、外で友達とキックベースするか、ほとんどこの2択だった。学校の休み時間は、とにかく早く外でドッジボールがしたくて、急いで給食を口に詰め込んだ。少し離れた友達の家まで、母に車で送ってもらう。それが楽しみで仕方なかった。大学生の今に比べれば、遊べる時間も手段も限られていた。それでも当時は十分すぎるほどに満たされていた。先入観と憶測などいっさいなく、ただクリアな眼差しで世界を堪能していた。その味が無くなることはなかった。あれは今思うと、とてつもなく幸せな時間の連続だった。身長だけでなく、心の芽もすくすくと伸びた。

大人になった今、メタ認知を介して、子供の目線を再構築することが大切なのだと思う。現実問題、大人は子供の目線だけでは生きていけない。単に子供的な大人は社会のお荷物になり、即座に戦力外通告を受けるだろう。とはいえ大人の目線だけだと、たちまち日常が退屈になる。感動も薄い。だから時々、メタ認知という工程をはさむことで、子供の目線を生み出す。それは発見と驚きに満ちた、純粋無垢な眼差しだ。今書いてて思ったが、メタ認知というより、メタ感知というべきかもしれない。俯瞰して終わりじゃない。俯瞰して、味わい直す。そこまでがセットだ。簡単にまとめると、クソゲーだろうが神ゲーだろうか、そういうものとして最大限に楽しむ力。それが遊び心。メタ感知を実践し続けるなかで、その心は育っていく。

この目線で勉強に向き合うとやっぱり楽しいし、「これはこうしたほうがいいんじゃないか」「そもそもこれはどういうこと?」という気付きが増える。そう、この認知の差が、そのままパフォーマンスの差なのだ。もちろん国家試験の範囲の外にまで、この関心の輪を広げるのはナンセンスであり、その線引きが難しいところでもある。だがその悩みも、もとの目的に立ち返れば解消できる。その目的とは試験に合格することであり、医学の知識を深めることではない。試験というゲームをプレイしていることを念頭に置けば、終わりのない知識の深掘りもなくなる。

これもまた自分の推察に過ぎないが、モチベーションとかやる気とか、そういう心理的なものもすべて、この遊び心で対処できるように思う。ただそれはハウツー本や自己啓発本的な文体で伝えられるものではないし、一朝一夕で身につくものでもない。この感覚を言葉でどう伝えるかが、今後の課題だ。


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