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創作はじめ

唐突だが、小説を書いて出版することを決めた。

指導教員のドクターとの面談にて。

Dr.「最近、どう。」

自分「やりたいこと増えて。小説を書きたくて。」

Dr.「ああ。言ってたね。」

自分「あれ、そうでしったっけ。」

すでに過去の自分がぼやいていた。知らなんだ。

テーマは未定。まずは小説の材料を増やすために、これから毎日かかさず、その場で自分が感じたことや気づいたこと、それを起点とした内的探求を自分の言葉として、たった一言でもいいから記録することから始める。それらを切り刻んで、煮込んで、盛り付けて、フィクションの物語として世に放つ。そういう流れだ。これをガチでやる。目標は初期臨床研修の直後。すなわち今から2年後。何かしらの形で出版。もちろんそれより早くてもいい。なんなら国試後でも。ただブログとかkindleではなく、紙の本で。そこらへんの手順は都度調べる。

今年の4月から、研修医として働きながらの材料集めとなるため、その実生活から遠く離れた架空の話ではなく、まさに医師になりたての自分が、しかも研修医という最もヴィヴィッドで心揺さぶられる時期、それをテーマとした物語がピンとくる。実際に研修医を題材とした作品はそこそこある。しかし自分が今まさに構想しているような、研修医の日々をリアルタイムに当事者として記録し続け、その生々しく熱を帯びた体験を、じかに小説としてコンテンツ化したものはほとんどない。もちろん医療から外れても構わない。これは面白いことができそうだ。

とりあえず記録する。調理はあとで好きにしたらいい。夏の地域医療実習で、毎日かかさず振り返りを書いていたが、それの延長線上だと思えばいい。最近マイブームの純文学とやらを、自分でも書いてみたい気持ちもあるし、それでゆくゆくは芥川賞とか取れたら、なんかかっこいいじゃん。一昨年なんか、消化器内科の先生が受賞してたし。ラランドの西田も書いてんだから、自分もいけるっしょ。ナメた軽い気持ちで始める。

さっきの会話の続き。

Dr.「いざ働きはじめると、忙しいことを理由に記録するの辞めちゃうから、今のうちに何かしらケツを決めといたほうがいい。今から先に、出版社に言ったほうがいい。こういうの書こうと思ってるんですけど、どうですかって。出版社のどこかしら、話に乗ってくる可能性すらある。A4ペラの企画書。それが相手に面白いと思われたら、内容ができてなくても通る。むしろ逆に、いくら中身ができてても、企画書の時点で面白くなかったら、通らない。だから先にいろんなとこに企画書出しまくって、添削してもらったほうがいいと思う。今は暇だからそれができるでしょう。それを4月までにやっておけば、4月からは淡々と記録し続けるだけでいい。

自分「たしかに。」

Dr.「あとついでに研修医になる前のエピローグも書いちゃうとか。卒業旅行の予定も無いんなら、ふらっと名も知らぬ田舎の静かな民宿みたいなところでね、20泊くらいして物書きするとか、ふらっと近くの喫茶店に行ってみたり、気晴らしに港まで歩いて漁師と駄弁ったりね、それでまた戻ってきて書いて。ああ〜贅沢だねえ、そういう時間。」

自分「いいですね。人生の棚卸しにもなるし。」

Dr.「初期研修のときの人生経験をちゃんと書いた本って意外とないんじゃない。あったとしても誰かが想像して書いたやつだからリアルさがない。現代版ブラックジャックとかになるかもよ。それをさ、ブログとかYouTubeとかじゃなくて、小説ってのがいいよね。エッセイとか自己啓発本とかじゃなくてね。俺も小説がいいと思うわ。そのまま漫画化、映画化なんてね。」

自分「自分、やりますわ。」

Dr.「いいね、楽しそう。あーそういえば話変わるけど、3月にインド行くんだけど、間違えて予約したのがひとつ空いてて。」

自分「え、はい。」

〜以下略〜

話が膨らみに膨らんだ。このテンポ感、驚異的だ。さすがすぎる。自分でも「あ、これマジでやるやつだ。」という手応えがあった。この先生と出会うために、この大学の医学部に入ったのかもしれない。冗談抜きに、幾度となく、そう思う。

医者人生のなかで、人格形成に影響を与える時期は、研修医までで終わりだという。だからこそ、ひよっこの研修医時代に、現場で自分が素直に感じたこと、世界と対峙した体験を言葉に残すという行為はとても大切らしい。医師としての年次を積むほどに、学生や研修医時代に抱いていた純粋な心、ワクワク感は失われがちのようだ。多忙だと、なおさら。何のためにこれやってるんだっけ。迷うことはいいけれど、せめて楽しみながら迷いたい。楽しめたら、何だっていい。そういう遊び心を育てるためにも、日々の心の動きを観察する習慣は欠かせない。これは歴代の偉人を含め、人生の先輩たちが、何度も何度も言っている。

後世への遺物としても、書物という媒体は適していると思う。自分が死んだ後の世界を生きる人たちに、自分が生きていた事実を知らしめるような、そしてそれが人々の豊かさに少しでも貢献するようなモノを残したい。みたいなことは以前から、ぼんやりと考えていた。そのやり方はいくらでもある。乱暴な言い方かもしれないが、子を産めば、DNAを遺せる。絵を描けば、感情を遺せる。そういうなかでも、自分が好きで向いているのは言葉。言葉じゃないものを言葉にする力、時々まわりの人から褒めてもらえる。それをもっともっと尖らせて磨いていく。何はともあれ、今、自分はワクワクしている。


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